獣に注意
心を乱されることが、たった一つの電話で起こってしまう。
なんだか疲れてしまった、と思う。
そのことに関して言えば。
昨日、私は自由になりたくて、そこを訪ねないのか、と自分に問うた。
違うのだ。結果自由になる行動かもしれないが、それが目的なのではない。
自分で選択する、自分で実行する、自分の心を確認する。
そんな当たり前のことを普通にできる人になりたいと思ったからだ。
それから、そこを訪ねることを自分が選択したら、それは、私の正解なのだと、思う。
誘いの電話は、今の私を少し混乱させた。
スケジュール帳を見て、お当番の日がないんだな、とさみしくなったのは事実だから。
だから、訪ねることは、私にとって、間違いではないのだろう。
ただ、さみしいだけでは理由にならない。
さみしいのはいつもの事だから。
それに限ったことではないのだから。
何か足りないのだ。どうしても、納得がいかないのだ。悲しみにも似て、恐怖さえ。
家でできることをしよう。
祈りをささげよう。心は、どこまでも、広がるから。
少し注意しなければならない獣。
私の持っている獣。
全てを憎むような眼をするなんて。
いったい私に何があったのか、記憶にはない。
でも、私の持っている獣は、怒り、叫び、悲しみ、嘆いている。
救いを求めるならば、そこを訪ねればいいのかもしれない。
救いがきっとあると私は信じている。
救いを求めるならば、だ。
そんな自分を許せるのか、私は、まだわからない。