老々介護はせつないです。

やっと秋らしくなってきた。

夏は苦手なので、過ぎ去ってくれて、あっという間だったなあ・・・なんて。

とはいえ、まだまだクーラーなしでは暑いし、半袖のTシャツを着てなんだか、さえないなあ。。。なんてぼんやりしていたのだった。

 

季節の変わり目は、心身ともにバランスを崩しやすくて、先日まで非常にクレイジーというかヒステリックになってしまい、旦那の目が点になっていたけれど、、まずいぞ、と思っていたところに、実家の母が、畑で採れた野菜を持ってきてくれた。

 

トマト、ナス、ピーマン、キュウリ、オクラ、サニーレタス、つるむらさき、みょうが、ネギ、春菊、パプリカ、ニンジン。それから、叔父さんが海で釣ったイナダ二本。

 

それから野菜中心の食事をしていたら、なんだか、気持ち元気になってきたかも、なんて。

 

母に会えたのも久しぶりだったこともあり、上がってお茶でも飲んでいって、と言っても、コロナだから遠慮する、と言って、ダン、と帰ってしまった。

 

トマトとツナのパスタ、とか、ナスの煮びたし、とか、新たなレパートリーも増え、昨晩は、イナダを捌くぞ、と思ったけれど、結局ぶつ切りにして、しょうゆベースで煮魚にした。それが結構おいしくできて、夫も喜んでいた。

 

母は、父の介護で疲れていて、相当無理をしている。

私からは、あまり連絡しないのだが、母から電話がかかってくると、どんどん言葉があふれてしゃべり続ける。1時間を過ぎた頃になると、喋ってすっきりした、と言って、コロナに気を付けて、と言って、ブツっと、電話は切れる。

父が施設に入ってくれるか分からないけれど、福祉課の人に相談した、とか、、

話を聞くと、本当に老々介護って、せつない。

 

父はちょこちょこと数センチずつしか歩けないのだが、気が焦ったりすると転んでしまう。それだけでも危ないのだが、そこから一人で立ち上がることができない。

おーい、おーい、と母を呼んで、母も起き上がらせようと手や腕をひっぱたり、背中を押したり、するらしいのだが、それでも起き上がれない。そうなると、ご近所さんの力を借りたり、車で10分の所にいる叔母さんを呼んだり、誰かが来るのを待つ、とか、、、

 

ヘルパーさんがいないわけじゃない。父が嫌がるのだ。構われるのが嫌でたまらない。

でも、自分の世話を自分でできないのだ。結局母にしわ寄せがいく。

どうして、母の事を考えてあげられないんだろう、と、思う。

父は、自分のしているのことがわからないのだろうか。

母を思いやるなら、紙パンツぐらい履けばいいのに。

母を思いやるなら、食欲がなくても、少しは食べればいいのに。

 

母は、父が何も食べなくても、毎回食事を作って、父のテーブルに置く、という。

私なら考えられない。どうせ食べないんだから、と、あきらめてしまうだろう。

エンシュアさえ飲んでいればいいんでしょう、と、あきらめるのに。

 

なんて、そういう事を娘はどうにもできず、ただ、母親の話し相手になるだけの、コロナ禍にいる。コロナでさえなければ、母だって、もう少し元気だろう。まだ話ができる父と一緒にいる時間を大事にしたいと、考えるかもしれない。コロナの影は、非常に色濃く、胸を暗くする。

 

ああ、私も友達に会いたいな。

アイドルの話なんかしてけらけらと笑いたい。

10代の頃のように。

…なんてね、友達は友達で、現実問題山積みで、結局愚痴を聞かされるんだけれど・・