アンドロイドじゃないから

今日は、私の実家へ行ってきた。

母に栗食べない?と誘われて。

 

栗より、母は、一緒にご飯を食べてくれる人を欲していたようだった。

お昼の新米も、ウナギも、菊の味噌汁も、とても美味だった。

 

何かから、確かに、解放された私は、少し立ち上がりかけている。

腐敗にも、勝つかもしれない。

 

と、言いながら、お酒が少し回ってる。

気分は悪くない。

ええ。それは、そう。

 

おいしいと、夕ご飯を食べてくれた夫。

食事が5倍ぐらいうれしたのしになるんだもの。

母が求めるのもそういう事かな、と、思う。

一人の食事は、生きるための糧でしかない。。

 

父や母が老いていく、どんどん子供のように単純に見えて、

それは、多分私も年を取っていて、親のピーク時を過ぎた頃だからかもしれない。

 

本当は、規則正しく、美しくいられたら、どれだけいいだろう、なんて、思う。

思い描いた将来をそのままに現実にできたら、どんなにいいだろう、なんて。

思うように生きられない苦痛を持つ私。

でも、多くの人が感じることでしょう?

だって、人間だもの。

簡単な答え。

 

心に過不足のない人もいるんだろうな、それか、自分に厳しく戒めのある人。

ああ、そんなのさ、考えても仕方ないじゃん。

つまらない話。

でも、アンドロイドじゃないし、繊細な心と自分の世界で生きている私に、

健全さを求めるとまるでお笑いみたいになっちゃって、笑われちゃいます。

確かに面白過ぎて。

いつしか職業にしようか、なんて、無謀な夢も消えたけれど。

 

何もかも親の反対。

反対にあってさ。

でも、私の好きなあることに関しては、ゴーサインがやっと出た。

好きにやりなさい、って。

だから、がんばるんだ。