愛の言葉

何だろう、自分が変わってしまった気がする。

 

少し世界が変わってしまった。

 

それはいい事なのか悪い事なのかわからない。

 

なんとなく、大事なものが変わってきた。

意識が変わってきた。

それは、とても、不思議な気がする。

何故だろう。

 

変化に追いつけなくて、頭が真っ白になる。

何を言っているんですか、あなたは、という瞬間が多い。

それは少し不安なことだ。

 

ああ、明日は、特別な日だ。

 

今日は友人の誕生日だ。

でも、おめでとうのメールはしない。

なんとなく、しないでおこう、と思っている。

彼女は満たされているだろうから。

 

こうして、話すことって、本当に楽しい。

救われる。

こんなことを話したところで、夫は理解してくれないし、友人にしても、

てめーの話、でしかない。

 

でも、クリアになる。

今の自分を映し出してくれる言葉たち。

 

この場所に感謝。

 

雨が降っているのだろうか。

今日は、雨の音を聞きたい気分だ。

雨の音を聞いていたい気分だ。

それは、敗北に似た、底知れぬやさしさに似た、ささやかな悲しみに似た、

強さと弱さに翻弄される気持ち。

 

今使っている寝具、マットレスが柔らかくて、腰に悪い。

少なくとも、腰を痛め始めている。

 

なんとなく母を思う。

私の母は、そう、まるで今夜の雨のように、しんみりと悲しみを備えた人だった。

少なくとも私にはそう見えた。

でも、働かなくては、育児しなくては、家事しなくては、という、目まぐるしい、

毎日の中で、その悲しみは、怒りや機嫌の悪さに姿を変え、私を攻撃した。

子供が5人もいると、感覚が、同じ母親でも私とは全然違うのだろう??

子供を攻撃することなど、日常茶飯事だった。

本人に自覚はなくても、人格を否定することなど、よくあることだった。

 

母は、いまだに、私を娘だと認識していない。

なんというか、女同士、敵味方分かれますわよ、的な、めんどくさい考え方だ。

私は娘を持たなくて本当に良かったと思う。

男の子一人だけれど、十分かわいがって育てているが、もし娘だったら、と思う。

 

女の業、という事を最近考える。

私は、女の業が強いのか?と。

 

私は、男も、女も苦手で、子供や爺さん婆さんや、人間的なことが生きやすい世界なので、キュンきゅんドラマとか、全く興味はないし、大体ドラマもなかなか苦手だし、

そこで、男女の絡みなど出てきても、子供が恋をする気持ちは分かるけれど、大人の男女のメロドラマなんて、まっぴらごめんなのだ。

若い頃は、少しは好きだったけれど。

深みのあるものが少ないから、ともいえる。

 

面白味のある、恋愛ものほど、素晴らしいものはないだろうし、小説にもいろいろあるけれど、普通に接している毎日の中で、あれ?って気づいたときに、私は、この人に依存している、とか、彼が私の中にいる、とか、恋愛や、血縁や、夫婦や、そんなルールに縛られない、言葉に縛られない、人間の心、あるよなあ、って。

タブー、と知っているから、自制が効いて、夫婦の形があるのが、やはり平穏を求める人間の英知なのだろうと思う。

 

だから、心が敏感な人なら、簡単に、浮気したり、好きだ嫌いだと別れたり、気持ちの向くままに生きるかもしれない。でも、鈍感なふりして、妻や夫を愛してる、に変換して生きている人が多いんじゃないか、なんて、思いたい私。少なくとも、私はそう。

絶対、夫を傷つけたくない。

 

私は、結婚前、夫と出会う前、恋をした。相手は、年下のでも賢いやんちゃな人だった。ほぼ、片思いで終わった。私は、ほとほと疲れていた。ある人をつなぎとめる努力をするという事、自分の心が、どんどん壊れていくこと、クレイジーな恋心は、自分を壊してしまう。そんな、あきらめ。どんどん腐っていった。

 

そしてむーびんおんうぃざうちゅー、な、わけ。

 

親のところに戻った。

親は、相変わらずだった。

仕事ばかりしていた。

 

でも、思うけれど、親がいてくれたおかげで、今の夫ともやってこれたのかもしれないな、なんて。親や周りの人見認められる、結婚、という制度は、偉大だと思う。

簡単に別れられない・・・・。

 

もしお金があったら、と考える。

私に1億の預金があったら、今の夫と別れるだろうか?

嫌、別れない。

のんのん。

 

でも、隙間が大きくなってきてね。

 

とても大きいの。

 

それがとても悲しい。

だから、雨音・・・・